意外なほどに刺青を容認する声は多かった。ファッション感覚でタトゥーを施している人も増えて、以前ほどの抵抗感はなくなっているのだろう。
それでも刺青は基本的に「好きこのんで施すもの」だ。刺青が入った状態で生まれてくる人間なんていないし、幼いころに身体を縛り付けられて施される悲劇的な虐待も稀だろう。
ケガや大きな手術の傷痕を隠すために刺青を施すケースは別として、好きこのんで施した刺青のために蔑視されることを「差別だ」と批判することを、私は甚だ滑稽に感じざるをえない。
(中略)
根は地中に埋もれ、人目につくことはない。深く掘り下げれば「根はいい」のかもしれないが、人目につく花や葉が毒なら、それは世間からみれば毒草と評価されてもやむを得ないのだろう。
「根はいい人」というのは決して褒め言葉ではない。「花や葉の見た目が悪いからこそ、だからといって根まで腐っているわけではない」という一種の言い訳として使用される言葉だ。
そういった意味では、今回、娘はフォローのつもりで私に「根はいい人」と彼氏のことを紹介したつもりだったのだろうが、用法を誤ったとしか言いようがない。現に、私は「根はいい人」と聞かされても違和感を覚えたのみで、「どのようにいい人なのかを会って見極めたい」という感情は起きなかった。
たしかに、心持ちが豊かな人物は魅力的だ。人間の根幹の部分が「良い」とされる人物はとても素晴らしい。
しかし、人物の評価はまず見た目に清潔感があったり、言葉遣いや態度が清廉であったりすることから始まる。「外見は内面の一番外側」といった言葉があるように、人は視覚情報によって他人を「こんな人だろう」と予想するのだ。
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Web記事で読んだもの。
確かどこかの記者さんの記事だったと記憶している。
背景としては、この筆者自身の娘さんが、刺青(タトゥー)を入れている彼氏を父親である筆者に紹介したという場面が始まりになっている。
その出来事を筆者なりに記事に感想としてまとめたものの一部が上記である。
最近では度々、テレビでも話題になるタトゥー入れる入れないの権利主張対決だが、正直個人で入れるのはもはや入れると決めた人がリスクを取っているので、権利としては止め様が無い。
ただ、本人がリスクと考えている以上にリスクは存在し、今の所その潜在リスクに気が付いて公開する頃には取り返しがつかない状態になる事が多いといった所だろうか。
親子関係、親密な人間関係(例えば恋人同士)などでいったら、本人がどんなに刺青(タトゥー)をしたくても、近しい関係の人は直接影響を受けるので、止めたい人は止めに来るだろう。自分にも害が及ぶ可能性が高いと予想されるから。
逆に知り合いがタトゥーを入れた事で、メリットが有ったという例を私は良く知らない。
今回の記事の場合、恐らくだが、挨拶に来た筆者の娘さんは既にタトゥーが入っている人を好きになり、彼氏にしたのだと思う。いれる前に知り合っていたら、どうなったか解ら無い。
結局そのくらい認識に差が有る出来事なんだ。
筆者が触れている通り、外見は心の一番外側という考えの人もいる。その人達と粘り強く対話する位の根性がないのなら、辞めておいた方が良いと私は思う。
自分の我を通すとはそういう事だ。
あ、ちなみに自分の知り合いが、タトゥーを入れるとしたら、理由の如何に問わず、全力で止める。それでもどうしても入れるのであれば、仕方ないと諦めはするが、同時に友達の縁も切る。
ただし、日本人の友人限定条件の話。
外国人の友達は別。習慣が違うから。