育休復帰が一般化するようになった今の女性が直面している課題は、出世か窓際かの極端な2択ではなく、より自然なスタイルで働き続けることができるか、望むスタイルに近づけるかどうか、だろう。
とくに育児と仕事の両立に奮闘する子育て世代は、目の前の1日を生きることがやっとの状態。いきなり「活躍」「管理職」と言われても、気持ちがついていかないという本音がある。
しなやかに働き続けるうちに、「もっと責任のある仕事をしたい」という気持が醸成されることもあるだろう。
そこで大前提として必要なのは緩やかでも働き続けるということだ。この道筋をつけるためにはもちろん、男性側の育児参加は不可欠だ。そこが進めば、これまでひとくくりに考えられてきた「働く女性」の中にもダイバーシティーが生まれ、本当の意味での男女平等に結びつくだろう。
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週刊東洋経済記事より。
女性が産休などのイベントを抱えて、職場で戦力としてやってゆけるかどうかは今後の更に少子化、高齢化、そして在宅ワーク化が進む新しいニューノーマル時代に向かう今、の考え方にかかってきている。
大事なのは女性の働き方や働く場所を女性たちが合わせる努力やスキルアップでなんとかする方法性の考え方ではなく。
どうやったら、どんな女性でも、快適に働いて、子供もも出産可能になるか?という考え方で職場を仕事を改革するという事だと思う。
私が大事だと思うのは今後ずーーーーーーーーーーっと少子化が続く訳ですから、女性が職場の戦力として十分に働けて、然も自分の人生の過ごし方があまり辛すぎる状態にならないような仕組み的な配慮が整備されるという事です。
別に女性だって好きで結婚し、続ける訳でも、子供を出産する訳でも、子育てをする訳でもありません。仕事が大変なら、どれかの精度が落ちるのはむしろ当たり前です。
それを個人の努力だけでなんとかしろと押し付けるのはあまりにも無茶が過ぎると私は思います。子育てをそれこそたった一人の母親だけで行ったり、父親だけでやり抜いた人も多くいると思います。でもだからといって全部の人が、なんの才能も無しに出来る事では無いと私は思います。出来る人がいるからといってそれが万人に簡単に出来るレベルの事では無いという事です。
自転車だって、乗れない個人差があるようになんでもこなせるとは限りません。社会の仕組みや考え方でそれら人生の選択肢が選ぶことが出来てその苦労も異常な労苦にならないのであればそれは多くの人や国にとって将来の希望に繋がると考えられます。
手持ちの武器でやりくりしなければいけない世界なのなら、より大事にして、窮屈な努力を強いるのではなく、仕組みとして上手く行く流れを作る事が肝要だと思っているという話です。
そうすることで、新たな雇用発生や、新たな発見があるかも知れません。今までと違うことは大変さも伴いますが、いままで見てなかった世界が広がる事も事実です。
どうせ背負う苦労なら、苦労しがいのある方向へ苦労したい。
人間はどうしたって、男女の性別があるのだから、同じ人類として女性だけ色々苦労をしいる体制はそもそも根本が間違っていると今こそ認識すべき時です。男性がどんなに頑張っても、命を育む能力は獲得できないのだから、尊い女性達にせめて働くことも、生活することも、今より一歩でも二歩でも快適になってもらえるようにしたい。
残念ながら、まだまだ、世の中も、男性も、女性のニーズに応えられるほど発達も修練度の上昇も無いですが、でも、努力する方向性は継続して保たないとこれからの世界では遅れて行く一方になると危機感を持っています。
どうせなら、みんなでツンツンしないで、笑える世界の方が、住みやすいと思うので。