トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

PLAN75を鑑賞しました。

日本映画かと思ったら、日本=フランス=フィリピン=カタール合作映画なんだそうな。

 

どうりで知らん人がパラパラ出てるなーとは思った。

 

近い将来の日本を舞台に、自らの生死を選択できる『プラン75』という制度に翻弄される人々を描いた作品。

 

少子高齢化が今よりも進んだ日本を舞台におそらく、以前高齢者施設で起きた大量殺人事件をモチーフに取り入れた無差別殺人テロの様な高齢者施設を狙い撃ちした事件が多発したことを受けて、「PLAN75」という75歳を超えたら自らの生死を選べる制度が実現した日本の話。

 

この物語が変なリアリティを持っているのは、冒頭出てくる無差別殺人者が、「自分の勇気の行動を見てくれ・・・。」的な発言をして、世の中が変わる事を期待して、猟銃で自ら、自殺するシーンから始まる事。

 

物語ではこのシーンの後、PLAN75法が成立するまで、同様の無差別テロが、複数発生した事を示唆したニュースシーンが流れる。ちょっと前の事件で、自らを「無敵の人」と称した同じく路上無差別殺人テロが起きているが、そういう鬱屈した青年層は少なからずいる。日本人持ち前の自制心と人に迷惑かけない主義のおかげでPLAN75の世界の様にはなっていないが、全くあり得ないか?と言われれば有りそうで怖い感じがぬぐえない。

 

興味深いのはこの映画が、日本=フランス=フィリピン=カタール合作映画な点。初めてこの映画で長編映画監督を務める早川千絵監督の感性はこの世が優しいが、決して甘くない事をこの作品でしっかり描き切っていると私は思う。最後のシーンは非常に余韻があり、全くもって、わざと答えを出さずに終わるのだが、それがまた本当に観る人に考えさせる。強力なメッセージ性を感じる。

 

主演んの倍賞千恵子さんも流石、往年の銀幕スター。見事な演技力で、リアルな高齢者を演じきっている。どうやったらこんな自然な演技が出来るのか、素晴らしい表現を是非見て欲しい。倍賞千恵子さんは映画のHPで「物語の中心となるミチに、9年ぶりの主演作となる名優・倍賞千恵子。「最初はひどい話だと思ったが、ある選択をするミチに心惹かれ、出演を即決した」という。」とコメントしている。

 

それだけ何か訴えるものがあったのだと思う。

 

また、監督の早川千絵さんはこのようなコメントを出している。

 

(以下コピペ)

「物語や主人公の心情を懇切丁寧に説明してくれる昨今の日本映画を見慣れている人がこの作品を見たら、少し戸惑われるかもしれません。しかし、謎を心に留めたまま、様々な想像を膨らませ、他者の心に思いを馳せるということも、映画を見る醍醐味だと思います。私は映画を見る人の感受性を信じています。一人一人異なる感性で、自由に映画を解釈することで、観客にも映画の共作者になってもらいたいのです。『PLAN 75』という映画が自分の手元を離れたあと、無限に形を変えていくことを願っています」

(コピペ終わり)

 

恐らく、赤字映画じゃないか?と思いますが、こういう映画は本当に色々な世代に見て欲しい。

 

PLAN75法が本当に実在したらと考えると是か非かも含めて、結論は出ないけど。

もし、この法令が、実在する世界に自分が生きていたら、せめて積極的に利用して、後ろの世代に迷惑にならない様にしたいと考えると思う。

でもだからと言って、他の人に強く進める訳でもなく、PLAN75を選択した自身を誇る事も全くない。どうあっても、自死を選択するなんて、生き物としてあってはならないし、生命の尊厳に対し、失礼だと思う。ただ、昭和の頃まで、姥捨て山が当たり前に実在していたこの日本では、国民性として、全体を護る為に自ら、死を選ぶ人が少なからず、いるという事は否定できないと私は思う。

 

切腹する民族なのよ日本人は。世界で唯一、過労死や自死が、自然死・事故死を上回る民族なのよ日本人は。未来に可能性をつなぐため、自ら死を選ぶ法令が実在したら、私は選ぶと思う。意志を以て、未来の世代に可能性を託したいと願って、きっと自死を選ぶ。銃夢にも「エンドジョイ」なんて自死装置が出てきたりするが、このテーマはきっといつまでも答えは出ないだろうと思う。