トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

中年ニートが困窮死するNHK番組を見て。

 

 

年代とか世代とかに関わらず。こういう時はまずは出来る出来ないは兎も角、原理原則に一旦立ち戻って問題に対処する姿勢を作るべきだと思う。

 

背景は色々あると思われるが、前提として、対象者であるご本人は困窮している事が客観的に見て間違いない状況に置かれている。

 

本人が、望まないから、援護の手も、救援の手も差し伸べられないというのなら、状況を判断して強制的に助ける手段を発動させられる様な仕組みも必要だと私は思う。当然、その為の掛かるお金も有る事を承知の上で。必要な法整備も有る事も覚悟の上で。

 

セーフティーネットはまず、大前提として、どんなに追い込まれたとしても、最後の最後、引っかかって助けてもらえる仕組にしておくことが、安心感につながるからだ。自助努力も必要だし、中には制度を悪用する人もいるかも知れないけど、まず先に助けなければならないのは困窮者とはっきり解っているその本人を救わないと意味が無い。

 

なんで強制的に救う仕組みも検討して欲しいのかというと、当事者本人には例えそれが、自身の意思決定の様に見えても、正常な判断が出来ていない可能性があるからだ。

過労死で取り上げられる様な事件を想像して欲しい。無くなった人達は誰もたいていの場合、自分では無く、組織、会社だったり、同僚だったりに迷惑をかける訳には行かないと無理をして、仕事を優先し、最後にはその命を失っている事が多い。

 

ニートではあるものの、生活困窮者である彼ら、彼女らは生活の柱であった両親または、どちらか一方の親を失って、製材的にに困窮し、追い込まれているケースが多い。人間、追い込まれると視野が狭くなるもので、正常な判断は元より、今自分が異常状態に突入しているという認識も無いかも知れない。

 

だから、すくのが先。まず直接的な苦しみを抜く事が先だと私は考える。

 

その上で、どうするかは本人の判断にゆだねるのはありだと思うのだ。

 

いつも、この手の話が出ると思いだす。『金を恵んでくれなんて思ってもいないし、必要も無い。ただ、普通に一生懸命働いたら、食って行ける(生活)様にしてくれと言ってるんだ。』と。だいぶ前に友人とした会話の一部。いつも、自分自身心に留めて覚えている言葉だ。

 

一生懸命働いたら、生活できるようにして欲しい。

 

政治・行政が注力して欲しいと願う一点はそこだ。

 

今後、この手の人は絶対増えて行くことが、予想出来るだけに助けて活かす行政政策を作り上げる事が、人手不足解消にも繋がって行く気がしてならない。