トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

BLACK的な働き方の効用(笑)

過去所謂ブラック企業に属する様な仕事場に所属していたので、最近労働法の有難味を感じる(笑)

 

まあ守ってくれる企業にいる事が前提になっちゃうのだけど。

 

ドヤ顔して語る事でもないので非常に恥ずかしい思いをしながら、これを書いているのだが、学生を卒業してすぐの20代に今でいうブラック企業的な所へ所属して、色々働いた挙句、身体を壊して、再起不能に陥り、そこから何とか復活を遂げて、リハビリしながら派遣社員として約三年働いて、そこから正社員になり、海外駐在を経て、昇進を繰り返し、今は会社で派遣社員出身者から初の管理職になった。

 

その間。労働基準法を守って仕事をさせてくれる職場のなんと有り難い事か!(笑)とおもって、業務へ従事してた訳ですが、ブラック企業で働いていた時に積んだ経験もまんざら無駄でも無かったなという部分が有ったので紹介したくて日記に留める事にした。

 

今もし、ブラック企業に勤めている人が居たら、その人には一日でも早く、1分、1秒でも早く、そこから逃げ出して欲しいと本当に、本当に切に願う。振り返れば役に立つ事もあったかもしれないレベルの話で、百害あって一利なしの居場所である事は間違いないので、兎に角命が無事なうちに戦略的撤退をして頂きたい。あくまでもブラック企業賛歌では無く、こうならないで欲しいという想いを込めての記録なので誤解の無い様に。

 

まず、もって、ブラック企業は休みが無い(笑)

 

最初に勤めていた会社では正社員雇用だったものの、休みは月に3日。これだけ聞くと、良かったじゃん週1休みなんでしょう?と思うかもしれない。さにあらず。月の頭に3連休があって、以降来月の頭まで休みなしなのだ!土日も祝日も無い。つまり、一ヶ月30日としたら、27連勤という事になる。今もそんな会社あるのだろうか?解らないけど。そんな会社で営業職として働いていた。朝7時から夜11時まで・・・。

 

ハイ、驚いた方、正常です。まだまだ甘いと思った方。もう末期です。早くその環境から逃げて下さい(笑)

 

営業なのでノルマを課される仕事だったのですが、新卒の割に営業成績がよかった私は結構ノルマを達成しておりました。身体を壊して辞めるまでの半年ちょっとで、実にノルマ達成できなかった月は1回のみ。他は達成した上に上乗せしてましたので、新卒入社273名中、営業成績は上位20位から落ちた事はありませんでした。一番は取れませんでしたが、最高位は4位でした。でも、上記の様に毎日仕事へ出てました。ある日突然気持ちが折れて、退職。この時学んだ事が有るとすれば、どんなに一生懸命働いたとしても、動けなくなると、ゴミ扱いされるという事です。成績優秀であっても、『結局見掛け倒しかよ!』と手のひらを返す様に蔑まれます。ブラック企業かどうかの判定基準としては実績の評価を正しく行わないという視点になるかと思います。

 

さて、続いての企業。

 

うつ病に近い状態まで追い込まれたものの、寸でのところで踏みとどまって、実家に帰った私は、そうはいってもお金を稼がないと生活できないので、奨学金の返済とかで(涙)仕事を探しました。休職中に。そして入社した会社。ここは印刷会社でしたが、ほどなく刷版という紙幣で言ったら、原板を作るような部署へ配属され働いてました。そこから、各部門で選抜された根性有りそうな若手とベテランの混成部隊で、新規事業として、塩化ビニール製のシートにインクジェット印刷を行う事業立ち上げを命じられました。与えられたのは2億数千万円の幅5メートル長さ30メートルの印刷物を印刷できるインクジェットプリンターと200坪のコンクリート打ちっぱなしの工場。

 

そこから、このプリンターで印刷できる印刷物を売って、利益を出すのが内らの仕事。まず、この巨大プリンターはマニュアルが全部英語。壊れたパーツは自分で直す。パーツや備品の注文は全部海外。そんな機械を1年以内に使いこなし、受注を受け、利益を出す事を命じられた訳ですが、一年半結果が出ず、2年目が見える頃に急激に利益が出る状態になりました。その後競争が激しくなり、今はそれほど利益の出ない仕事になっている様ですが、私がいた頃は一人頭の売上が月で1500万円の会社でした。さいたま市ベンチャー補助金も頂ける新興企業として会社を立ち上げて親会社から分離してたので、利益が見える分、働き甲斐もあるのですが、その中身はかなり問題でした。タイムカードを押すと異常音が鳴って、戻ってきます。なんでか?24時間以上会社にいるからです(笑)

 

28時間勤務とか、36連勤とか睡眠時間30分、工場のごみ置き場で寝るとか。そんな日常を約1年続けてました。たまに休みが有ると本当に20時間くらい寝たまま起きないとか有ったくらいつかれてました。でも、その巨大プリンターを扱えるのは上司と自分だけ。他の人は機械も解らないので、休む訳にいかないと思ってました。納期も短納期だったので、徹夜作業も多かったですしね。で、本格的に病んでしまいメニエール病を発症して、倒れました。ホントに職場で倒れたので、救急車呼ぶところでした。で、1日休んで通院した結果、医師に『あと2週間医者に来るのが遅れていたら、あんた死んでたよ。』と普通に言われる状態に。血圧が上、210、下、110という状態で、いつ血管が切れてもおかしくない。この状態で自覚症状が全く無いのは信じられないと医者に何回も信じられないと連呼されました。で、本当に久しぶりに起きるまで寝てみたら、まるまる24時間以上寝てまして、26時間後に起きたら、『なんだまだ2時間しかたってないじゃん(笑)』とか思ってたら、日付が変わってました(涙)

 

この時、絶対安静を医師に告げられ2週間、自宅療養を言われたのですが、その間に疲労が徐々に回復し、正常な考え方が復活してきました。自分しか出来ないと思っていた仕事は上司と後輩が引継ぎなんとかしてくれてました。結果、学んだのは結局、必要な仕事は完成度は別にして、誰かが必ず何とかするので、自分がいなくても大丈夫という事でした。それと、休む事の重要性。

 

で、日銭を稼がないと生活できないので、次に派遣会社で、年収が半分以下になって、年収210万円でしたが、派遣先で勤務を開始。半年くらいはやっと通勤している様な状態でよくもまあ、首にもならず勤務させて頂けたなと派遣先の会社には感謝しています。徐々に健康を取り戻し、まともに体が動く様になるまでに約1年かかりました。

 

その後、更に1年半、合計2年半経った頃、派遣先で「正社員として働かないか?」と言われ、その後色々揉めた挙句、入社して今に至ります。

 

ブラック企業に身を置いて2回3回と身体も壊しましたが、その中であえて教訓として、今後に生かすなら、

 

1.仕事は出来なきゃ誰か他の人が必ずやる。

  【自分が自分がと無駄に責任を重く背負わない。】

 

2.有給休暇が取れない会社は長く働ける職場では無い。

  【不測の事態は誰にでも起こり得るので休めないのが前提では破綻する。】

 

3.人を公平に評価できない環境の会社はメンタルがやられる。

  【無駄な派閥論理が働いている可能性が高く、非合法な忖度を求められる。】

 

上記3点は学びました。

 

これらに引っ掛かって来る匂いを感じたら、即逃げる算段をした方が良いと思います。命あっての物種です。再起を図るにも徹底的に壊れてからでは間に合いません。壊れ切る前に治療出来る環境へ移動する事です。撤退する事です。全滅したら、再起できません。繋いでこそ、浮かぶ瀬も有る訳です。今は所謂、中間管理職ですが、それでもそこまで追い込まれません。上司、部下、その他の部署からも、他己評価として色々な角度で評価して頂いております。

 

どんなに苦しい、厳しい経験でも何か活かせるところを吸収して、辛かった経験を糧にするという意識で書きました。辛い場所へ、苦労を買ってでもしろ!という趣旨で書いたものではありません。昔は買ってでもした方が良い苦労が有ったのかも知れませんが、今は出来るならやらない方が良い苦労が多すぎます。

 

でも、生きて生活している以上、それらすべてを避けて通る訳にはゆきません。なのでせめて生かすべきは活かし、不要な状況からは出来るだけ早く逃げる事が肝要だという想いから実体験に基づいて書きました。

 

特に今は雇用も不安定で、派遣社員の方も多いです。自分も部下として派遣社員さん達に働いて頂いてますが、出来る事なら全員正社員として雇用してあげたい。そんな権限自分には無い訳ですが。自分より遥かに若い世代が、そういう不自由な働き方を生まれながらに強いられているのは心が痛みます。人情だけで動けない不自由さを感じるし、それはそれで辛いです。そう言った現場の現状をみて、思い出した自分の昔話を記録として書きとどめました。