深夜特急という旅小説がある。一部の人にはカルト的人気を誇る小説なのかと思っていたが、そんな事は無く、不朽の名作らしい(笑)
自分が知らないだけで、本当に作者の「沢木耕太郎」さんには申し訳ないと思う。
その作者のインタビュー記事が週刊東洋経済に出てた。
(以下記事抜粋)
沢木は、自由な人生を旅に例えた。
「自由に生きられるということは、自分のことは自分でできる、後始末がつけられるということです」
ほほう、と俄然身を乗り出すインタビュアーに、作家は「1人でその時間をどう費やすか、自分を楽しませるかっていうことが、やっぱりその人の力量だったりするわけだよね」と、微かに挑むような、チャーミングな笑みを浮かべる。
「1人だと、移動している時間に自問自答しますよね。それが旅を進化させ、印象を深める。2人や3人で行くと、会話の中で消化してしまって、その思いが残らない。この『旅のつばくろ』でも、基本的には1人で動いて自問自答してるから、近距離の旅でも重層的にいろいろ深くなっていくんじゃないかっていう気はする。1人だから感じられる、1人だから深められる。やっぱり旅は、もし深いものを求めるんだったら、1人のほうがいいんじゃないかと思うね」旅も人生も一緒、結局は1人で歩くものだ。
「1人で生きていけることと、1人で旅ができることは、わりと近いこと。もちろん何人かで一緒に人生を過ごせればいいと思うんだけど、どこかで1人で生きられる力っていうのを持っていたほうがいいじゃない? 経済的にも、家事能力も含めて、男であってもね」。
(抜粋終わり)
これ非常に同意できる。
私もとてもそう思う。
家族のなんのといっても、所詮生まれ出る時も、死ぬ時も結局一人だ。自己完結できる個人があっての家族であり、友人であり、仲間だと思う。確立した個があってこそのチームであり、集団だと私は思っている。
それを前提にやれ家事ができないから結婚したとか、財布の管理ができないから結婚したとかいう話を聞くとガッカリする。ああ、コリャ駄目だと。
特に自分の一回り上の世代になるとこの程度はより顕著になるので、そういう人たちには何をどう言われても、「ああ、一人になったとたんゴミと埃にまみれて餓死する人たちですね。」と場の空気を凍り付かせる発言をしている。
どこの先進国でも、たいてい自分の事は自分で行う。フランスなんかはパーティーで、自慢の料理の一つも出せないとブーイングらしい(笑)中国でもそう。特に上海はそれが顕著。アメリカも生活レベルの差は有るけれど、ある程度を求められるそうな。同じく先進国なのに家事一つ出来ない事がまるで自慢の様に語られる日本の方が珍しいのだと私は思う。
自分の実家はそもそも、貧乏暇無しの家庭だったので、小学校低学年から、炊事、洗濯、掃除、は自己責任で行うのが通例だった。今はどうだか知らないけれど、当時は5年生から家庭科が入っていたが、そのころには兄弟共に包丁捌きでは同級生を凌駕していた。ぶっちゃけ担任の先生より上手だったから。
そういう意味では海外の一人暮らしにも非常に役にたったし、国内で一人暮らしするときも特に苦労はなかった。生活費は月5万円とかだったけど(笑)
まあ、何とかなった。
幸い墓も買ってあるし、首から札でも下げてのたれ死んだら後始末を頼んである弁護士に連絡さえ執ってもらえば墓には入れる(笑)